hitsujinooshiri

散文とかコラムとか。平成の清少納言を目指します。

雨宮まみさんの訃報に寄せて。

雨宮まみさんが亡くなった。


私は今「サプリ」という漫画にハマっていて、漫画でも映画でもハマるととにかくいろんなレビューまで読み漁るような人間なので、そんな折から数日前に雨宮さんのこのブログの記事を見つけた。

『サプリ』おかざき真里 - 雨宮まみの「弟よ!」

「失恋したから」死ぬんじゃない。「疲れたから」「希望が見えないから」「生きてるだけでつらいから」「これから先楽しいことなんかあるように思えないから」死ぬんだよ。

この文が、強烈だった。

ああ、そうなの。そうなんです。皆勝手なこと言うんです。「まだまだだよ」とか「絶対いい人現れるって〜!」とか。

私は私なりに絶望する理由があって、努力のせいにはされないくらいに努力もしてきて、その上いくら転んでも明るく笑って済ませなきゃ、なんて。どれだけ荷が重いんですか、女は。

そんな、体育座りで俯いていじけたいような気持ちを、隣で同じように、服の裾も気にせず、しゃがんでうんうんって聞いてくれているような文章だった。

これがプロだなあと感激して、そのまま雨宮さんが書いているものをめちゃくちゃ検索して、お悩み相談の連載もぜんぶ読んだ。

悲痛な悩みを、支離滅裂な文章を、きちんと汲み取って真摯に答えていた。

「死なないでください。」

その言葉で確実に誰かを励ました人が、もうこの世にいないなんて。 


少し自分の話をすると、私も彼女と同じ「ライター」という肩書きを名乗っている。

それは、たまたま文章が物凄く好きで、たまたま需要があって、たまたま今一番多い仕事がそうだからだ。

昔から、雑誌はカラフルでツルツルの紙の部分よりも、赤と青だけで刷られたザラザラの紙の、読み物の部分が好きだった。いつかここにコラムとかを書く人になろう〜!と決めていた。いつか東京に行って、出版社とかに持ち込みして、そうやって載せてもらおう!と企てていた10代だった。それがなんて言う職業の人たちなのかはわからなかったけど。

ところがいざオトナになってみると、時代の流れは紙から段々インターネットへと移行していた。

まさか文章を書くという仕事をインターネットでするなんて思ってもみなかったけど、とにかくできることを勉強した。テキストだけじゃなく「ここまでできます」という幅を広げた方が仕事は増える。新しいことを覚えるのも、できるようになるのも楽しい。

でも最近よく思う。インターネットの海に転がっているのは、文章じゃなくて情報なんじゃないか?って。

みんなが求めてるのって情報なんじゃない?って。

だからいくら「ブログやらないんですか?」って聞いてもらっても、書けなかった。

見出しをつけたくない。広告を入れたくない。わかりやすくまとめたくなんかしたくない。

そうしてるうちに、自分の文章を書くのが段々こわくなっていた。

ウケない、笑いをとれない、だから舞台に出たくない。そんなお笑い芸人みたいに。


雨宮まみさんという人に対して、私はご本人よりもその書いている文章のイメージの方が強かった。

著書をいくつか持っていたはずだし、ネット上の記事もよく見ていたし、特に自分で調べなくてもいくらでも目に入ってくるような方だったから、「雨宮まみ」とあんなに検索したのは初めてだったかもしれない。

それが、彼女が亡くなったとされる日だった。


そもそも文章を書くという行為は芸術に近いのでは?とよく思う。

そこにそんな仕掛けがあったのかとか、この人の表現ではこんな色になるんだなとか、そんなことを考えながら読み手が何度でも楽しめるものだと思っていた。

雨宮さんの文章は、消費されない。一度読んだらずっと覚えてられる。そんな力がある。

紙でもインターネットでも、変わらずに、この人は命をかけて文字をつづってる。それがわかるからこんなにも支持される。

インターネットにがっかりしてたから、だから圧倒された。

でも、命をかけすぎて命をとられるなんて。

まさか、本当に、芸術家みたいに。


彼女の寂しさは彼女にしかわからないし、いくら自分を応援してくれる人がたくさんいてもその分孤独が浮き彫りになることもあるし、「雨宮まみ」でいるための、私たちには想像もつかないような血のにじむ戦いがたくさんあったんだろう。

それは自分の名前を職業にする人なら当然の戦いだ。

「ライター」には資格はない。名刺を作れば誰でも名乗っていい。

だからこそ、あれだけ文字や言葉や文章をストイックに守り続けてきた人がいなくなるということはあまりにも重い。


誰でも名乗れるからこそ、それを名乗る私たちは言葉に責任を持たなければ。

誰でもなれるからこそ、いつまでも腕を磨かなければ。

そのスペシャリストとして、一人の女性として、いつまでも憧れさせて欲しかった。

私たちは惜しい人を亡くしてしまった。

その悔しさが、来世での彼女のバネになりますよう。